小泉清亮 Episode 4

仙台での個展で感じたこと   文:kiyo

今回の個展の目的は、仙台の街を歩く人々に窓越しから作品を見ていただくこと。
そして、道を行き交う人々の心が癒されること。

道行く人が作品を眺めてくれる。
じっと眺めながら歩く人、立ち止まり凝視してくれる人、車やバス、自転車に乗りながら大通りから見てくれる人、もちろん気づかず通り過ぎて行く人もいる。

バスから作品を見て、わざわざバスから降りてギャラリーに足を運び入れて見に来てくれた方、ギャラリーの前を通るたびに感じ取っていただき、4日目にギャラリーの中に入って「心が和まされる」と感想を伝えてくれた方もいた。

作品について、今の東北について色々な話を聞くことができた。

私が『できること』は何かと考え、東北への思いをこれまで3作品制作した。
『月虹』 『Despejar 空は晴れる』 『つながり』。

しかしながら、私は東北を訪れたことがない。仙台で個展を行うもう一つの目的は、東北の今を感じることだ。

個展開催の合間に仙台の海に行った。
水平な線がどこまでも続く。
雑草が子供の背丈以上に伸び風に揺れている。
ところどころ陥没した道。
瓦礫をきれいな台形に固めたモニュメントのようなものがあちらこちらに点在する。
その緑と灰色の水平な世界に突然赤錆びた、あるべき姿を無残に変えられた物体が現れた。

津波の爪痕1
一気に2年前の3月に引きずり込まれるようだった。
それまでの何とも言えぬどんよりとした心が暴れ始めた。
電車の窓ガラスはきれいさっぱり存在せず、車体の一部は理解できない形に変形していた。車内には土砂が居座り、その物体はたくさんの雑草に囲まれ叫んでいた。
心は暴れたまま、涙も止まらず。

更に海を目指すと、水平な世界にポツリポツリと心が切り裂かれるような形をした家がそのままの姿で私を睨みつけていた。
その周辺は、道路陥没のため通行不可の看板で進めない。
津波の爪痕2

津波の爪痕3
無音の状態から救い出してくれたのはシャベルカーの音だった。
我に返り周囲を見渡すと、ダンプカーが走っている。
邪魔にならぬように再び海を目指す。

津波の爪痕4
海岸公園の道路標識がとてつもない力で捻じ曲げられていた。裏面の伊達政宗の足もすくわれていた。
海は見えない。
橋の下を流れる川の水は赤茶けていた。目茶目茶に砕かれたコンクリートの建物の脇に復旧作業員の方の作業着が何枚か干されていた。

ここからも見ることができない。
交通整理の方から、「これ以上は進んではいけない」と言われた。海を見たいと話すと、「もっと南に行けば見ることができるかもしれない」と言われた。
海岸沿いを並行に走る道を見つけた。
ダンプカーが数珠つながりになって走っている。
妨げにならぬように注意深くその流れに入った。
水平の世界が続く。
家の基礎だけが残るところ、台形のモニュメント、抉り取られそのままの姿の家も点在する。
仮設のセブンイレブンもあった。
左に曲がると『港』の看板が目に入った。そこを左折した。
閖上港であった。
港に向かう道にはひまわりがたくさん植えられていた。
港の近くに築山のようなものが見えた。
津波の爪痕5
そこは戦没者の慰霊碑が安置されていたようである。
閖上の方々やボランティアの方々の手により復旧されていた。
ひまわりやきれいな花が参道を彩り、頂上の戦没者慰霊碑の隣に二万人の震災犠牲者を供養する卒塔婆が立てられていた。
その近くでは復興支援のボランティア受付所があり、オレンジ色のTシャツを着た関西の大学生たちがぎらつく太陽の下で袋いっぱいにした草を運んでいる。

途方もない、終わりの見えない復旧復興への道。どこから手を付け、何をやっていくべきか、やるせない気持ちになる。

しかし、力強く走るダンプカーや笑顔で汗を流して働くボランティアの姿に「勇気と希望を持て!」と言われているようだった。

できることから、あきらめずに少しづつ前に進むしかないと感じた。 津波の爪痕6

2013年8月

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