小泉清亮 Episode 3

「個展 森に還る」で感じたこと   文:ebi

2011年1月29日(土)19:00
僕は仕事を終えたその足で仙台駅に向かっていた。
19:26発の新幹線に乗るために。
これを逃すと今日中に藤枝には着けない。
駅に着くと僕は走ってみどりの窓口に向かった。ここが混んでいたらアウトだがラッキーにも並んでいる人は一人だけだった。普段ならチケットはネットで予約するのだが、今回は仕事が少しでも遅れたら行けなくなるので窓口で購入するしかなかった。
クレジットカードで支払いを済ませると急いで土産物売場へ向かう。選んでいる暇などない。速攻で幾つか買い込みホームへ走る。ホームへ昇るエスカレーターを駆け上がるとちょうど列車が入ってくるところだった。
そうだ、メシ!
ここで買わねばと駅弁売場へ。
ここでも迷ってる暇はない、お釣りの無い千円の牛タン弁当を買って新幹線に飛び乗った。
息を切らしながら指定席に座ると僕は大きくため息をつく。
正直言って目眩がするぜ。
こんな時僕の頭の中にはあのブリザードの懐かしい名曲が流れている。
くそっ、タバコを吸う暇も無かったぜ。
東北新幹線は全席禁煙だ。残念ながら東海道新幹線に乗り換えるまで待つしかない。あきらめて僕は牛タン弁当の包みを開けて食べ始める。
冷たい・・・
牛タンも硬くて美味くない。
そういえば最近は駅弁もレンジでチンしてくれるらしい。
こんな時僕はすぐ村上春樹の小説の主人公的な思考になる。
やれやれだ。

冷たく硬くマズイ駅弁を半分だけ食べた後、僕は暗い窓の外を眺めながら今回の旅の目的について考えてみた。

入口と出口。

私の絵の中にはそれがある、と彼は僕に言った。
元々今回の個展には僕は行けないはずだった。
急に決まった仕事上の理由でどうしても日曜しか休むことが出来ず、今回は行けない、彼にもそう伝えていた。
でも開催した個展の様子を彼に尋ねた時、会場にふらっとやって来た見知らぬおじさんの話を聞いた。
そのおじさんは会場へ入ったと同時に「おーッ」と森の詩を見て唸った。
しばらく作品を見て回り退場したが、再度入場しソファーに座った。
少し考えてから彼に質問してきた。
「入口はどこだ、出口はあるか」
予期せぬ質問で、彼が答えられず困っていると更に
「原生林でも入口、出口はある。獣道もある」
「森の詩を正面から見ると進入を拒否しているかのように見える」
また、彼が困っていると、「ここから見ると入口も出口も見える」
とソファーに座り斜め横から見ながら言った。
「正面からは見る者を拒むようで見にくいが、横からは見やすい、見える」
ようやくおじさんの言うことが理解できたので彼はそのおじさんに絵の説明をしたらしい。

その話を聞いて僕は無理をしてでもどうしても行きたくなった。
実は僕も同じ質問を彼にしていたのだ。
今回の個展に行けないことをメールで彼に伝えたとき、生活の為にやりたくもない仕事をやっと見つけたことで、本当にやりたいことが出来なくなる繰り返しに嫌気がさした僕は、
「ねぇ、この世界中のすみっこにもきっと何処かにある抜け出せる出口ってのはいったい何処にあるんだろう?」
と彼に尋ねていた。

彼の絵の中にその答えがあるのだろうか。
短いトンネルが幾つも続いて新幹線の窓枠が気圧の変化で縮んだり元に戻ったりを繰り返す。窓の外は暗くてトンネルを抜けてもほとんど何も見えない。
僕は窓に映った自分の顔をしばらく見つめてみた。
車内の蛍光灯に照らされた自分の顔はどこかしら少し悲しげに見えた。
それは群れからはぐれてしまった一羽の鳥を連想させた。
あるいは歩き慣れたはずの森で道に迷ってしまった樵の男を連想させた。
僕はシートを少しだけ倒して目をつぶって高校生の頃同級生の女の子に言われたことを思い出した。
「〇〇君っていつも悲しそうな顔してるよね。」
そして出口について考える。
「視点を変えるんだよ。」
「視点を変えれば出口は見つかるはずだよ。」

僕は道に迷って深い森の中で同じ所を何度も何度も歩き続けている樵になった自分を想像した。

やれやれだ。まったく。

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実家に泊まった僕は翌日、家から個展が開催されているアートカゲヤマ画廊まで歩いてみることにした。 家から2〜3キロの距離だ。
帰省する度に町の変化に驚くのだが、いつも車の窓から眺めるだけだったので丁度良い機会なので歩いて昔の町並みとの変化を直に感じてみたかったのだ。
天気予報通り良く晴れていた。仙台より断然暖かいだろうと思っていたのだが、それは間違いだった。風が強くてやはり寒い。あまり帰省しないのですっかり忘れてた。この町の冬は風が強いのだ。
歩き出してすぐにバッグを持っている手がかじかむ。僕はバッグを肩にかけ直して両手をポケットに突っ込んで、高校生の頃に自転車で走っていた道を歩きはじめた。楽器屋の貸しスタジオまでギターケースを背中に背負って通った懐かしい道だ。
家の裏手にある川に沿って歩いていくと高校が新設されている。
日曜日の午前中だからグラウンドでは生徒が野球やサッカーの部活動をしていた。
この寒い中よくやるよな、この高校も僕の高校の隣にあった頃は女子校だったのに今じゃ共学かぁ。そんなことを考えながらよく見ると、サッカーをしている生徒はみんな女の子だった。
女子サッカー部があるらしい。時代は確実に進んでいるようだ。
川の向こう側もこの高校のグラウンドになっていて昔は無かった橋が出来ていた。
向こう側には新しくて綺麗なテニスコートがあったが、残念なことに昔懐かしいテニス部の姿は見当たらなかった。
あまりジロジロ見ていると不審者と思われて通報されかねないのでさっさと通り過ぎる。
この高校が昔あった所は今どうなっているのだろう?いつかまた機会があれば行ってみたいものである。
少し大きな交差点を渡り少し大きな橋を渡ると、だんだんと身体も温かくなってくる。
この先からは町並みが昔とはかなり変わっているのだが、僕は懐かしさを優先させて河の土手に沿った道に入る。
こちらの裏道は昔と同じだった。新しく建て替えられた家はあるけれど、道幅も狭いままだし20年以上経つのにほとんど変化がない。
当時あった古い牛小屋までそのまま残っていて、ちゃんと牛糞の香りが漂ってきた。
僕は当時好きだった女の子のことや、ギターの弦の感触を思い出しながら歩いた。
その頃バンドで練習していた曲を口ずさみながら歩き続けた。
もう寒くはなく、空はとてもよく晴れている。
森の詩を観る準備は整ったようだった。

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な、なんなんだ!? この空間は!?
す、凄い...
個展会場に一歩足を踏み入れた瞬間、僕は訳もなく幸せになった。
訳もなくHAPPYを感じた。
その空間は慈愛に充ちていた。とてもイノセントな空間だった。とても心地よく感じた。
まるで深い森の中に突如現れた舞踏会のように思えた。
僕は部屋の中央まで進んでまわりをゆっくりと見渡してみた。
森の中の舞踏会。そこはシンデレラや白雪姫の物語に出てくるような王子様やお姫様が楽しげにダンスを踊り、森の小人や妖精たちがうれしそうに笑顔で周りを取り囲んでいた。
そんな気がした。意味もなくHAPPYを感じた。
この世は光に満ちており、私たちは自らの意思を自らより高く掲げることにより、どんな薬や宗教の力を借りることなくそれを感じることができる。
以前読んだ村上龍の小説にあった一節が浮かんできた。
そこにある作品は僕の予想をはるかに超えて素晴らしいものだった。
どれもこれも良すぎて目移りして一つの絵をじっと見ていることができなかった。
僕は部屋の中央でぐるぐると回り続けた。
まるでメリーゴーランドに乗ってはしゃいでいる恋人たちのように。
まるで色とりどりのお菓子でいっぱいの部屋に入った子供のように。
まるで大好きなアーティストのニューアルバムのすべての曲が最高だったときのように。
僕は知らない間に笑顔になっている自分に気付いた。微笑みと笑いの中間くらいの。

来客と話していた彼が僕に気付いて近づいてきて固い握手をする。相変わらず力強い握手だ。
最終日で日曜ということもあって多くの人が足を運んでくれていた。僕達は一言二言言葉を交わし、彼はまた来客の相手をするために戻って行った。
僕は今度は一つ一つの絵を順番にじっくり見ていくことにする。
『凜とした風』『雫』『はじまり』『合奏』と油彩の4枚が並んでいる。
青を基調とした初めの3枚は佐野元春の『BACK TO THE STREET』と『NIGHT LIFE』のアルバムジャケットを連想させた。
クールな見た目、そしてその中にあるとても純粋な何かが詰まっている、そんな印象である。
『合奏』は『SOMEDAY』のようだ。他の3枚とは色合いも違うし厚みを感じる。彼らしい感じがする。
どれもこれもそれ一枚でまあひと月は酒が飲めそうである。できれば一枚一枚バーボンを片手にじっくりと向き合いたい。
そう思いながら次の作品に目を移して驚愕することになる。
『森に還る』 だ。
今回の個展タイトルにもなっている一辺が2メートルにもなる大作である。
昔から大きなキャンバスに描くことを得意とする彼だから作品の大きさには今更驚きはしないが、この作品は今までの作品とは明らかな違いがあるように思う。僕は素人で専門的な解説などできないが、これまでの彼の作品が放出するエネルギーだとすればこれは包み込むような、浸透させるような、そして迎え入れるようなエネルギーだ。タイトル通りまさに森へ還る入り口が開いているような絵だった。
なるほど、入口だ。そして僕はもうその森の中にいる。
僕はもう少し離れてこの絵を見ようと、後ろに誰もいないか確かめようと振り返った。
そしてさらに愕然とした。
そこにあったのは 『森の詩』
それは、いや、これが、彼の言っていた出口ではなかろうかと思った。
すべての生命と、水や石、砂や風、大地も海も、山も河も人も動物も草花や木々も、そのすべてを次の次元の宇宙へいざなうかのように両手を広げている、そんな気がした。
僕は『森の詩』に近づいていった。
近づけば近づくほどその絵は僕の細部に染み込んでいくように感じた。細胞の隅々にまで優しく染み渡り僕を包み込む。それは太古の昔から未来へと脈々と続く大いなる流れに身を任すように僕という存在と記憶を遺伝子レベルまで分解し、光へと変換して遥か宇宙の彼方へと旅立っていく。まるでエデンのエンディングのように。まるで新しい進化の形のように。
気がつくと僕は『森の詩』にわずか1センチまで近づいていた。
このままこの絵の中に入ってしまいたいと思った。
絵の中に入りたいなんて思ったのは初めてだ。いったい彼はどんな意図でこの絵を描いたのだろう。
しばらく『森の詩』にくっついたまま僕はその空間にいることを楽しんだ。

左に目を向けると三部作である 『月夜』 が飾られていた。
僕は個展が開催される前からホームページで今回の作品を紹介するために画像データを彼からもらってサイトにアップする作業をしていたから知っていた絵なのだが、本物がこんなに良い絵だとは知らなかった。ホームページ上ではこの絵(どの作品についても言えることなのだが)の良さの5%も表現できていない。
『月夜』はかなりいい。
すごくいい。
素敵だ。
また佐野元春で例えるなら『こんな素敵な日には』に匹敵するほどである。
この絵を手に入れる人はこの絵を部屋に飾り見る度にきっとずっと素敵な気持ちになれるだろう。そう思う。
僕はシンプルで上品な部屋の高級なソファーに座り、コンクリートの壁に掛けられたこの絵をじっと見つめながら高級なグラスで高級なシングルモルトを飲み干す自分を想像してみた。
まるで誰もいない砂漠の中でひとり、月の明かりだけが辺りを照らす。絶景。
う〜む、マンダム。

さらに隣には『紅』。入口を挟んで『芽吹き』『妖精』『ささやき』。
面白くて先が気になってどんどん読み進めてしまう小説のように、僕はまた一つの絵をじっくり見ていられなくなる。
アクリルで描かれた『芽吹き』、『妖精』はまるでアメリカンポップアートのようで、ニューヨークの近代美術館に飾られていても全くおかしくない作品だ。
現在東京の新橋4丁目のアトムCSタワーのエレベーターギャラリーに『妖精』が展示されているが、まさにこのような空間にぴったりであると思う。
妖精
僕は会場の隅にあるソファーに座って入口と出口の話をしていたおじさんと同じ角度で『森の詩』を観察してみた。
しかし僕にはその人が言っていたようにここから見ても入口と出口は見えなかった。
前回の『つながり』の個展で出品されていた作品もそうだったが、彼の絵はその見る角度によって様々な表情を見せる。
『森の詩』もこの角度から見ると受ける印象は全く違う。
絵を見て感じることは人それぞれなんだなと思った。それでいい。
少なくとも僕にとっては『森に還る』は入口で、『森の詩』は出口。
そしてこの個展全体が森であった。とても居心地の良い森。
それは僕という存在の良い部分も悪い部分も全てを受け止め肯定してくれているようだ。
「今までの君は間違いじゃない」と。
そして次のステップへの方向性を示してくれていた。

僕は今回この個展に来て本当によかったと思った。
危うく彼の真価を、そして進化を見逃すところだった。
今回の個展で彼が画家として成功することを確信した。彼の絵は売れる。
実際に今回の個展ではそういったオファーが何件もあった。
実にうれしい話である。
一枚一枚の作品はどれも素晴らしい。でもばらばらになるとこの空間の心地よさを感じることができなくなるのは少しさみしい気もする。

客足がいったん途切れたところで少し彼と話ができた。
彼は来れないはずの僕が来てくれたことをとても喜んでいた。
僕はこの個展のレベルの高さに感動したことを彼に伝えた。うまくは言えない。相変わらず口に出して伝えることは苦手だ。
帰りの新幹線の時間が迫ってきたので僕は彼とまた握手をして駅へと歩き出した。
全国ツアーのように個展を開催したい、そしていずれは海外ツアーも。帰りの新幹線の中で僕はそんなことを考えていた。
まるで昔安いバーで酒を飲みながらまだ見ぬ異国の地について二人で語り合ったあの頃のように、僕の心は夢でいっぱいになっていた。

追記
この度の東日本大震災により被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。
またお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
僕自身も仙台に住んでいて地震の影響もあってこの文章をアップするまでかなりの時間がかかってしまいました。
仙台市内でも、地震から一ヶ月たった今でも道路はいたるところで陥没し、ひび割れたままになっています。建物もひび割れ、崩れたがれきがまだ手付かずになっているものがいっぱいです。
復旧したらいつかこの仙台でも小泉清亮個展を開催したいと思います。
まだ余震が続いている仙台にて

2011.4.12 ebi

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