Ebisode 2

屋上から撮影

アパートメント  文:ebi

イエローラインの地下鉄に乗ってイーストリバーを越えてクイーンズ地区に入り36Ave.Stationの駅で降りる。そこから歩いて1分程の駅に近いアパートメントを日本人向けのレンタルビデオショップの掲示板で見つけた。現地で働いている日本人が2部屋あるうちの1部屋を$350/月で貸し出していたのだ。いわゆるルームシェアというやつだ。
僕は早速電話をかけ部屋を見に出かけた。出迎えてくれたのはFさんという40過ぎの男性で、ここニューヨークで観光客向けのリムジンの運転手をしていると自己紹介してくれた。
アパートは3階建てでFさんの部屋はその2階だった。一階にはアメリカ人の老夫婦、3階には日本人の商社マンが住んでいるらしい。日当たりの良い小じんまりとしたアパートメントで住宅地にあるからニューヨークにしてはわりと静かだ。
アパートの入り口のドアに一つ、階段を上り部屋のドアに2つ鍵が付いている。部屋に入ると日本人らしく玄関で靴を脱ぐようにしているんですとFさんはいう。左側にユニット式ではないが一部屋にまとめられたバスとトイレがあり、6畳ほどのキッチンダイニング、その奥に部屋が二つ。どちらの部屋も南向きで窓からは通りが見渡せた。大きな街路樹の春の新芽が辺りの明るさを増幅させている気がした。貸し出している部屋は8畳ほどの広さで床は毛の短い茶色のカーペットが敷かれ、窓の下には映画なんかでよく見るスチーム式の暖房装置があった。Fさんによるとニューヨークではアパートにこの手の暖房装置の設置が義務付けられているらしい。あと安物の洋服タンスが一つ。ベッドは無い。
僕がスライド式の窓を押し上げて通りを見渡していると
「僕はタバコを吸わないので部屋は禁煙にしてるのだけどそれでもいいですか?」
とFさんが尋ねた。
僕は自分の部屋の中だったら気づかれないだろうと頭の中で考えながら
「大丈夫です、僕も吸いませんから。じゃあここに決めます、宜しくお願いします。」
と笑顔で握手したのだった。今想えば悪い奴だと思うが、他に当てもなかったし、なにより宿泊していた安ホテルにはゲイが多く共同のシャワールームではマジで注意しないとヤラレちゃうよと同じホテルに宿泊している日本人から脅されていたので、僕としては一刻も早くそこを出たかったのだ。
アパートの向かいには大家さんの家があり、僕はFさんに連れられて挨拶に行った。
大家さんは60前後のいかにもといった感じの太ったアメリカンなおばさんで僕達を家に入れてコーヒーを出してくれた。
コーヒーがいいか紅茶がいいかだとか砂糖とミルクはいるかというような会話は何とかわかるのだがそれ以外はほとんど解らず僕はFさんの横で日本人らしい愛想笑いを浮かべながらおばさんとFさんの会話を聞いていた。時折おばさんが僕に何かを質問するのだが解らずFさんに通訳してもらってなんとか答えていたが、そんな英語力で大丈夫なのかしらと言われたのは聞き取れた。全くもってその通り、僕も不安でいっぱいだった。
荷物はバッグ一つなので僕はホテルをチェックアウトして早速その日の夜からアパートへ移った。
ベッドも布団も無いのでFさんに教えてもらった歩いて行ける距離にある大型のスーパーマーケットに暗くならないうちに行って一番安い薄っぺらいマットレスと毛布と枕を買ってきた。たしか全部で$20くらいだったと思う。
その日の夜はFさんは仕事に出かけて僕一人だった。
僕はシャワーを浴びてから近所のデリでグラム売りのお惣菜とビールを買って部屋に戻り、自分の部屋の床の上で食べた。キッチンにはテーブルと椅子もあるのだが初日から勝手に使うのも気が引けたからだ。
Fさんは良い人で何でも使って構わないし冷蔵庫の中のものも好きに食べていいよと言って出かけたのだが当時の僕の性格ではなかなかそんな訳にはいかなかった。
マンハッタンの街中にあるホテルに比べると新しい住み処はとても静かで部屋はシーンとしていた。テレビもラジオも何もない。僕は昼間3階の日本人の所に挨拶に行ったときに屋上に上がる階段があったのを思い出して、タバコとビールをもって階段を上ってみた。
屋上の出口のドアには鍵は内側から開け閉めするタイプで、ドアを開けるとそこからマンハッタンの夜景が一望できた。感動的だった。マンハッタンを外側から見るのももちろん初めてだったし、その夜景の素晴らしさは言葉にしがたいものだった。
本当にここまでやってきたんだなあとしみじみ思った。
僕はビールを飲み干し、空き缶を灰皿にしてタバコを吸いながらしばらくの間その夜景を眺めていた。

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