Ebisode 1

ブルックリンから

旅立ち  文:ebi

機内アナウンスが流れシートベルト着用サインが点いた。機体が徐々に下降し始めたことが感じられ、僕は窓の外を眺める。
薄い雲の層をしばらく進んで、そこを抜けるといきなり僕の目に写真でしか見たことがなかったマンハッタンの高層ビル群が飛び込んできた。
あぁ本当にここまでやって来たんだ、と僕は少しだけ緊張した。
機体は更に高度を下げ、ニュー・ジャージー上空をハドソンリバーに沿って飛んで行く。僕は運よく機体の左側の窓際に座っていたのでマンハッタンの街を窓からずっと眺めることができた。
しばらくして飛行機は左に旋回し始めた。ワールドトレードセンター。自由の女神が見えた。
長時間エコノミーの座席に閉じ込められていたせいで頭の芯がボーっとしているせいか、思ったほどの感動はないな、とその時思ったけど、あれから20年近く経った今でもあの窓から見た景色ははっきりと覚えている。良く晴れた午後の日差しを浴びたローワーマンハッタンと自由の女神は、まるで焼き印を押したみたいにずっと僕の心の中心に固定された。

1990年4月
僕を載せた飛行機は無事ジョン・F・ケネディ空港に到着した。
イミグレーションで滞在先を聞かれ、雑誌にあった安いホテルの切り抜きを見せてなんとか入国出来たものの、ロビーに出て先ず僕がしなければならなかったのはその日のホテルを探すことだった。
アパートを探すまで少なくとも一週間はホテル暮らしになるだろう、でも安いホテルは日本からでは予約できない。だから広告の切り抜きをもってきて空港から電話して予約しようと考えていたのだ。
両替所で両替をすませ(これは喋らなくてもお金を入れるだけで勝手に両替してくれる)、柱にぐるりと公衆電話が取り囲んでいる一角を目指す。時刻は17時を回っていた。荷物をガイドブックに書いてあったように足で挟んで置いて、イミグレーションで見せた雑誌の切り抜きをポケットから取り出し、受話器を耳にあてる。
日本の公衆電話と違ってアメリカのはコインを入れなくてもトゥーと繋がってる。これもガイドブック等で確認済みだ。25セントコインを入れて一番安い一泊20$のホテルの電話番号にかける。しかし呼出し音が鳴る前になにやら英語のアナウンスがながれてきた。
??
早口で何を言ってるのかさっぱりわからない。もう一度試してみるが同じアナウンスが流れる。 ひょっとしてこのホテルが潰れて通じないのかなと考えて、別のホテルにかけてみるがこちらも同じアナウンスが流れる。
んー。
困った。
僕は電話のかけかたが解らないのを周りに悟られないように平然を装いながらそこを離れてベンチに座った。 そんな外国人を狙う奴がいるのもガイドブックを読んで知っていたからだ。
行き交う人はみんな外国人でアジア系の顔は見当たらない。
と、少し離れた所に日本人らしきカップルを発見した。急いで荷物を抱えて近付き、
「すいません、日本の方ですか?」
と声をかけてみた。
僕が事情を説明すると男の方が親切に教えてくれた。
「あーそれはね、こことマンハッタンは距離があるからいわゆる市外局番を先に押さないとダメなんですよ。そーしないとオペレーターに繋がっちゃうんだよね。えーっとね、先にゼロを押して、それから番号で繋がりますよ。」
僕は田舎者丸出しで御礼を言って公衆電話に戻って言われたように最初にゼロを押す。
ところが今度はそのあとの番号を押す前にオペレーターと思われる女の人の声が。
僕はあわてて受話器を戻す。
辺りを見渡すが先程のカップルの姿はもうない。
あとでわかったのだが市外局番はイチで、ゼロはオペレーターに直接繋がる。僕に教えてくれた男が間違っていたのだ。
何回か試してみるが当然オペレーターにしか繋がらない。
僕はまたベンチに戻り途方に暮れた。
ロビーの出口から見える外の景色は夕日でオレンジ色に染まってきていた。

もう一度やってみようと立ち上がって公衆電話に近づくと一人の金髪の男が話し掛けてきた。
「何処に電話しようとしてるんだ?」
と聞いているようだったので切り抜きを見せると、
「君はちゃんと英語を話せるのか?ここはヤバイ奴が多いぞ?こっちのホテルはどうだ?」
と同じ切り抜きにある別のYMCAを指先した。僕はYMCAも候補にしていたので
「そこでも構わない。」
と告げると
「タクシーで行くのか?」
「そう。」
「じゃあ俺のタクシーで連れていってやるよ。ついてこいよ。」
と僕の荷物を持って歩き出した。
僕はあわてて後に着いて行くと男はタクシー乗り場を過ぎて一般の駐車場に向かって行った。
男は白いクライスラーの後ろまでくるとトランクを空けて僕の荷物をさっさとそこに入れてしまった。僕は(やばい!タクシーじゃない。騙された!)と思いながら、もうトランクを閉じられてしまったのでしかたなく諦めて
「いくらですか?」
と恐る恐る聞いてみた。
「マンハッタンまで100$だ。大丈夫、心配するな。」
と陽気に助手席のドアを開け僕を座らせた。

初めて乗る「アメ車」は広くてごつくて快適だった。シートは皮張りでラジオからはいかにもここはアメリカです的なポップなロックンロールが流れていた。
高速道路に入ってしばらくすると前方にマンハッタンのビル群が見えてきたので、僕は少しホッとした。
「ニューヨークは初めてかい?」
「イエス。」
「ウェルカムトゥニューヨーク!ハッハー!」
「どっから来たんだ?」
「ジャパン。」
「Oh〜フジヤマ!」
(本当に言うんだ)
「歳はいくつだ?」
「22。」
「俺は28。」
握手握手(…)。

片言の英語でそんな会話を交わしながら車はイーストリバーを渡りマンハッタンへと入った。
YMCAの前に車を止めると彼はちょっと待ってろと僕を車に残して、一人でホテルに入って行った。窓越しから彼がフロントで何やら話しているのが見えた。
そんなに悪人ではないみたいだなと僕は彼とフロントの黒人が話しているのをぼんやり眺めていると、彼が戻ってきて部屋が空いてること、一週間前払いにすると安くなることをゆっくりわかりやすく喋ってくれた。
「わかったかな?」
「イエス。」
「オーライ!。じゃあ100$。トラベラーズチェックでもいーぞ」
僕はトラベラーズチェックの束を出してそこにサインをし、切り取ろうとして上手く切れないでいると彼が
「どれ、かしてみろ」
と取り上げて切った。しかし一枚だけではなく下の白紙のもう一枚も。
やっぱり油断はできない。
僕は「ノーノー!」と彼から束を取り替えし100$分だけ渡し、トランクから荷物を出してくれと言った。
彼はバレたかと苦笑いで車を降りトランクから荷物を出すと、
「グッドラック!」と言って車に乗り込み、もう薄暗くなってライトを付けて走る車の流れの中に強引に割り込んで走り去って行った。
彼が行ってしまうと僕はYMCAの中に入りフロントで一週間分前払いして鍵を受け取りエレベーターに乗った。部屋は三階でトイレとシャワーは共同だった。
部屋は三畳ほどの広さにベッド、椅子の無い机と小さなテレビが置かれていた。
部屋は中庭に面していて景色は見えなかった。
これじゃ窓に鉄格子を付ければ刑務所だなとため息をつき、まぁ何はともあれ一段落だなと、外国らしく靴を脱がずにベッドに倒れ込んだ。
ベッドのスプリングが一本飛び出ているのが見えた。

目が覚めると時計は既に午後9時をまわっていた。
僕はベッドから起き上がり小便をするため廊下に出た。トイレとシャワールームは僕の部屋の目の前にあった。僕はシャワールームを覗いてみた。誰も使っていなかったので中まで入ってみると、シャワーのノズルが三つ頭の少し上位の高さの壁から突き出していた。腰の高さに温水と冷水と思われるコックが二つ、表示がないのでどちらがお湯なのかはわからない。それ以外はなにもない。床の排水溝以外全面タイル張りでタオルをかけるフックも着替えを置くところもない。
トイレは個室が6つ、小用の便器も反対側の壁に無表情に並んでいて、蛍光灯の青白い光のせいでやけに寒々しい感じがした。個室のドアは映画でみたのと同じで上と下が空いていて人が入っていれば足が見えるのですぐにわかる。その時は個室に一人入って用を足していた。
僕は小便をすませると部屋に戻って灰皿がないかと探してみた。ベッドの下に誰かが使ったセブンアップの空き缶の上を切り取った即席の灰皿を見つけた。
ベッドに座ってタバコに火を付ける。
指先から立ちのぼる歪んだ煙を見つめながら僕はジギーの歌を口ずさんでみた。
♪ゆがんーだけむーりをみーつめなーがらーあてにーならねーあすをーうらなーえばー
少しだけ元気になったような気がした。
よし!ビールでも飲みに行こう。それに腹も減ってる。
僕はホテルを出て夜の街を歩いてみることにした。

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